「雑草魂」、「国際舞台に強い男」、「巨人のエース」──。長年、日本球界を代表する投手として君臨してきた右腕が2009年、オリオールズに入団。念願のメジャーデビューを果たしたが、故障でわずか12試合の登板に終わった。翌10年も故障に苦しんだが、昨季はケガなく、セットアッパーとしてフル回転。活躍が評価されてシーズン途中にテキサス・レンジャーズへトレードで移籍し、地区優勝とリーグ制覇を味わった。高校時代は目立った選手ではなく、一浪して大阪体育大学に進学。しかし、ここで頭角を現わし、日本代表にまで選ばれるようになる。そして1997年、インターコンチネンタル杯決勝戦では、アマチュア最強のキューバ相手に白星を奪う快挙を成し遂げる。そして、1998年のドラフト前には、メジャーのエンゼルスからも声がかかる。当時からメジャー志向の強い上原ではあったが、日本の巨人でプロのキャリアをスタートする決断を下す。
上原は、決め球のフォークボールとテンポの良さを武器に、プロ1年目から実力を証明する。15連勝を飾るなど20勝4敗をマークし、最多勝、最優秀防御率、最多奪三振と投手3部門のタイトルを総なめ。新人王と沢村賞にも選ばれた。2002年には17勝を挙げ、巨人の日本一に貢献し、2度目の沢村賞を獲得する。
また、プロ入り後の国際舞台での活躍も目を見張るものがあり、2004年のアテネ五輪では防御率0.50をマーク。2006年には、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)準決勝の韓国戦で勝ち星を奪うなど3戦2勝の働きで日本の世界一に貢献するとともに、その存在感の大きさを改めて見せつけた。
2006年、上原は通算100勝を達成するも、WBCに備えた早目の調整が響いたのか2年連続して負け越すと、2007年も故障で出遅れる。しかし、抑えに抜擢されると復活を遂げ、32セーブをマークした。先発復帰し、オフのメジャー挑戦を宣言した中での2008年は前半こそ苦しんだが、北京五輪に出場した後は調子も尻上がりとなった。
FA権を取得して臨んだ2008年オフは、なかなか移籍が決まらなかったが、1月にオリオールズ初の日本人選手として2年契約に合意。若い投手陣を引っ張る働きを期待されての移籍が実現した。
オリオールズでは本来の先発ではなく、リリーフに専念。相変わらず故障には悩まされたが、シーズン終盤にはクローザーに定着して好結果を出した。昨季はセットアッパーとして安定した成績を収め、ア・リーグ東地区最下位に落ち込んでいたオリオールズから、ア・リーグ西地区で首位を走っていたレンジャーズへトレード移籍。新天地では一発を許す場面も目立ったが、奪三振が多く四球が少ないピッチングは流石で、チームの地区優勝に貢献した。
ところが、プレーオフでは、3試合の登板で3被弾と結果を残せず、ワールドシリーズでの登板は叶わなかった。今季は、ポスティングシステム(入札制度)で入団したダルビッシュ有、高校時代のチームメイトである建山義紀と切磋琢磨して地区3連覇を成し遂げ、プレーオフで昨年の雪辱を果たしたい。
