チーム情報
プロフィール
球団拡張により1977年に創設。創設から14年連続で負け越すなど屈辱のシーズンが続いたが、1990年代に入って左腕ランディ・ジョンソン、その後に永久欠番となるケン・グリフィーとエドガー・マルティネスが飛躍し、1995年に就任3年目のルー・ピネラ監督の下で初の地区優勝を果たす。
1997年には1993年のドラフト全体1位で指名されたアレックス・ロドリゲスが主力に成長し、2度目の地区優勝。2000年にはクローザーを務めた佐々木主浩らの活躍によりワイルドカードでプレーオフへ進出。2001年にはイチローが新人王&MVPの栄誉に輝くなど、メジャー記録に並ぶシーズン116勝を挙げて3度目の地区優勝を果たした。しかし、ヤンキースなどの壁に阻まれて、いずれもワールドシリーズには到達できなかった。
強豪球団の仲間入りを果たしたかに思われたが、2002年にピネラ監督が退任してからは低迷期に入る。2004年はイチローが84年間破られることがなかったジョージ・シスラーのシーズン最多安打を更新する262安打を放つ歴史的シーズンとなったが、チームはまったく浮上することなく地区最下位で終了。ここから3年連続で最下位に沈んだ。
2010年にはエースのフェリックス・ヘルナンデスがサイ・ヤング賞に輝き、イチローも2010年まで10年連続シーズン200安打を放ったが、チーム成績は好転せず、2012年途中にはついにイチローをヤンキースに放出した。2013年オフにはロビンソン・カノ、2014年オフにはネルソン・クルーズを獲得するなど、長年の弱点であった打線強化に本格的に取り組み、2015年オフにジェリー・ディポトGMが就任すると、次々とトレードを敢行。チームの血を大幅に入れ替えた。
勝負を懸けたスコット・サービス監督就任3年目の2018年は、イチローが6年ぶりにチームに復帰。夏ごろまで快調に白星を伸ばしていたが、カノの離脱などで徐々に失速。地区3位に終わり、オフにはカノ、ノーヒットノーランも達成したエース左腕ジェームズ・パクストン、セーブ王のエドウィン・ディアス、正遊撃手ジーン・セグラ、正捕手マイク・ズニーノら主力を次々とトレードで放出し、岩隈久志と4番を務めたクルーズも退団。一気に再建モードに入った。
再建元年の2019年は東京ドーム2連戦で開幕。ここでイチローが現役最後の試合を行った。苦戦が予想されたシーズンも13勝2敗とスタートダッシュに成功するが、その後は55勝92敗と沈み、地区最下位で終了。特に同地区のアストロズに対しては1勝18敗と大きく負け越した。マリナーズ一筋のエース、ヘルナンデスもこの年限りで退団した。米国4大プロスポーツで最長となる18年連続でプレーオフを逃し、メジャーで唯一、ワールドシリーズ未到達の球団となっている。
2020年はエースのマルコ・ゴンザレスとメジャー2年目の菊池雄星が先発陣の中心で、ブルペン強化の一環としてダイヤモンドバックスからFAの平野佳寿を獲得した。チーム打率が両リーグワースト2位に終わった打線は、2018年のオールスター戦に出場したミッチ・ハニガーが故障により出遅れる見込みで、カイル・シーガー、カイル・ルイス、ダニエル・ボーゲルバックらの奮起が不可欠。チーム状況次第ではシーズン中に再び主力の大放出に踏み切る可能性もある。
1992年から2016年まで任天堂(当初は元社長の山内溥氏)が経営に参画していたこともあって、日本人選手が数多く所属してきた。また、メジャー30球団の中で最北に本拠地を構えている。
スタジアム紹介
老朽化が進んでいたキングドームに代わって1999年7月に開場した、開閉式屋根付きの野球専用球場。開場時から地元に本拠を置く大手損保会社セーフコ・インシュランスが命名権を取得し、セーフコ・フィールドの名称だったが、2019年シーズンからはシアトル近郊に本拠を置く電話通信事業会社Tモバイルが25年間の命名権を取得したことにより、Tモバイル・パークの名称となった。イチローが守っていたライトは「エリア51」と呼ばれ、ライトスタンドにはイチローの安打数をカウントする手動ボード「イチメーター」を掲げる名物ファンがいた。何度か左中間を狭くする改修工事が行われたものの、それでも依然として右打者地獄とされている。2012年にはここで2度の完全試合が達成された。近くにはユニオン駅があり、長距離列車の汽笛の音が聞こえてくるのが名物。また、港町シアトルらしくスタンド上部からは海が見渡せる。球場前の道路の名称はマリナーズのフランチャイズプレーヤーだったレジェンドから取った「エドガー・マルティネス・ドライブ」。最寄り駅はLINK「Stadium」で、シアトル・タコマ空港からもアクセス可能。