チーム情報
プロフィール
ナ・リーグの球団拡張に伴い、1962年にコルト45'sとして誕生。1965年に現在の名称となった。創設から負け越すシーズンがほとんどだったが、1980年にジョー・ニークロとJ.R.リチャードの両エースの活躍などで初の地区制覇。1986年にもマイク・スコット、グレン・デービスの投打の主軸の活躍などで地区優勝を果たした。
1990年代になると、クレイグ・ビジオ、ジェフ・バグウェルらがチームの主軸となり、1994年にはバグウェルがMVPを受賞し、ビジオも盗塁王を獲得。そしてラリー・ダーカー監督が指揮を執った1997年に11年ぶりの地区優勝。1998年もシーズン途中に左腕ランディ・ジョンソンを獲得するなどの補強策で地区を制し、1999年まで地区3連覇を果たしたが、リーグ優勝には届かなかった。
現在のミニッツメイド・パークに移転して2年目の2001年にも、ランス・バークマンらの活躍で地区優勝を果たし、2004年にはロジャー・クレメンス、アンディ・ペティット、ロイ・オズワルトらの強力投手陣を擁してワイルドカードでプレーオフへ進出。翌2005年にはモーガン・エンスバーグが36本塁打、101打点と打線をけん引し、ワイルドカードから初のリーグ優勝を果たした。だが、その後は地区優勝に手が届かず、チームも2009年以降は低迷期に入る。2011年からは2年連続で100敗以上を喫した。
2013年にはナ・リーグ中地区からア・リーグ西地区へ移動。やはり負け越しのシーズンが続くも、A.J.ヒンチ監督が就任した2015年に若手主体のチームが覚醒し、10年ぶりにワイルドカードでプレーオフへ進出。そして2017年には野手ではホセ・アルトゥーベ、カルロス・コレア、ジョージ・スプリンガー、投手では左腕ダラス・カイケルら低迷期に獲得した有望株が次々と開花して主力に成長。右腕ジャスティン・バーランダーをシーズン途中で獲得した補強戦略も当たり、ア・リーグ西地区へ移動して初となる地区優勝から、ア・リーグ初優勝、そしてドジャースを下して球団史上初となるワールドシリーズ制覇を達成。8月のハリケーンで甚大な被害を受けたヒューストンに歓喜をもたらした。
その後も黄金期は続き、2018年はリーグ優勝決定シリーズで敗れたものの、レッドソックスに次ぐ103勝を挙げて地区2連覇。2019年は21勝のバーランダー、2018年に加入した20勝のゲリット・コール、シーズン途中にダイヤモンドバックスからトレードで加入したザック・グリンキーがメジャー最強の3本柱を形成。チーム打率両リーグトップの打線とかみ合って、両リーグ最多の107勝を挙げ、地区3連覇、2年ぶりのリーグ制覇を果たした。
FA移籍したコールは抜けたものの、2020年も投打にレベルが高い。投手陣では右肘手術で2019年を全休したランス・マクラーズが復帰予定で、バーランダー、グリンキー、セーブ王のロベルト・オズナも健在。打線は41本塁打のアレックス・ブレグマン、39本塁打のスプリンガー、31本塁打のユリエスキ・グリエル、メジャー最強の二塁手アルトゥーベ、大型遊撃手コレア、3割20本塁打をマークした左翼手マイケル・ブラントリーとDHヨルダン・アルバレスら、他球団がうらやむ陣容をそろえる。
2020年もヒンチ監督の下、2度目の世界一へ向けてスタートを切ると思われたが、2019年オフに2017年シーズンのサイン盗み疑惑が発生。そしてその処分として、球団はジェフ・ルノーGMとヒンチ監督を解任。黄金期を築き上げた両雄が思わぬ形でチームを去り、混乱の中で名門エール大学出身のジェームズ・クリック新GMと、最優秀監督賞を3度受賞した70歳のダスティ・ベイカー新監督が誕生した。
スタジアム紹介
1965年から使用していたアストロドームの老朽化に伴い、2000年に開場した開閉式屋根付きの野球専用球場。開場当初の名称はエンロン・フィールドで、アストロズ・フィールドを経て、コカ・コーラ社が30年間の命名権を取得したことに伴い、2002年シーズン途中から現在の名称となった。かつてセンター後方に「タルの丘」と呼ばれる約30度の傾斜とフラッグポールがあり、相手チームのみならず自軍のセンターにも不評だったが、2016年シーズン後に撤去工事を行い、センターフェンスを手前に出した。ヒューストンのダウンタウンに位置し、レフト側がユニオン駅に隣接している関係で、レフト側は客席が少なく、左中間の膨らみもない。アストロズの選手が本塁打を打った際にレフトスタンド上部を走る蒸気機関車が名物。2005年にアストロズとホワイトソックスが対戦した際に、テキサス州最初のワールドシリーズ開催球場となった。