チーム情報
プロフィール
球団創設は1882年。1887年にアレゲニーズとしてナ・リーグに加盟し、1891年から現在の名称となる。桑田真澄が最後にユニホームを着たチームで、2007年に在籍した。
1901年からリーグ3連覇を果たし、1903年の第1回ワールドシリーズではボストン・アメリカンズ(現レッドソックス)と世界一の座を争った。1909年にはタイガースを下して初めてワールドシリーズを制覇し、1925年に2度目の世界一に輝く。
1927年のリーグ優勝を最後に低迷期に入るも、1960年にビル・マゼロスキーの劇的サヨナラ本塁打でヤンキースを下して35年ぶり3度目の世界一に立った。1971年にはロベルト・クレメンテの活躍でワールドシリーズを制したが、1972年にクレメンテが飛行機事故により悲劇の死を遂げる。それでも1970年代は6度の地区優勝を果たし、1979年にはウィリー・スタージェルらの活躍で5度目の世界一に到達した。
1980年代に入ってから低迷するも、1986年にジム・リーランド監督が就任し、大型ルーキーのバリー・ボンズがデビュー。1990年には主力に成長したボンズと、1986年途中から加わったボビー・ボニーヤらの活躍で地区優勝。1992年まで地区3連覇を果たした。
しかし、ボンズがジャイアンツへ移籍したのと歩調を合わせるように、1993年以降は再びプレーオフとは無縁となる。そして2012年までアメリカのプロスポーツ史上初の20年連続負け越しという不名誉な記録を作った。
そんな暗黒時代の中でアンドルー・マカチェンら生え抜きの選手が成長し、2013年にワイルドカードで21年ぶりにプレーオフへ進出。2015年まで3年連続のポストシーズン到達を果たした。しかし、そんな安定期も長くは続かず、2016年以降はプレーオフから遠ざかり、2017年オフには攻撃の中心マカチェンを、2011年のドラフト全体1位でエースのゲリット・コールを、それぞれ放出した。
2018年はチーム打率がリーグ6位ながらもチーム本塁打数がリーグ13位と、大砲不足が浮き彫りとなり、地区4位で終了。2019年も課題は克服されず、チーム打率はリーグ3位ながらチーム本塁打数はリーグ14位。さらにチーム防御率は前年の4.00から5.18へと一気に悪化。地区最下位に沈み、2011年から指揮を執ってきたクリント・ハードル監督もチームを去った。
2020年は目立った補強はなく、現有戦力の底上げで挑む。投手陣はチーム最多のイニングを投げたエースのジョー・マスグローブ、トレバー・ウィリアムズ、クリス・アーチャー、若手有望株のミッチ・ケラーらが先発ローテーションの中心で、クローザーは2018年に24セーブをマークしたケオーニ・ケラが務める。打線はチーム最多の37本塁打を放ったジョシュ・ベルを軸に、マーリンズの左腕ブライアン・モランを兄に持つ三塁手コリン・モラン、打率3割コンビのブライアン・レイノルズ、ケビン・ニューマンらがその脇を固める。不動の中堅手だったスターリング・マルテをトレードで放出したため、その穴埋めは必須。デレク・シェルトン新監督の手腕が問われる。
スタジアム紹介
NFLピッツバーグ・スティーラーズとの兼用で1970年から使用していたスリー・リバース・スタジアムに代わって、2001年に開場した野球専用球場。建設費の一部はファンの寄付を募って集められた。少し遅れてスティーラーズの本拠地ハインツ・フィールドが隣接地に開場した。外野スタンド後方に見えるダウンタウンの景観が美しく、眺望の良さではメジャーの本拠地の中でも屈指。球場もその眺望を生かすように設計された。ダウンタウンからアレゲニー川を渡った場所に位置しており、川に架かる橋の名称は、1972年に非業の死を遂げた英雄から取った「ロベルト・クレメンテ橋」。ライトフェンスの高さもクレメンテの背番号「21」にちなんで21フィート(約6メートル)となっている。左中間が大きく膨らんでいるのが特徴で、その最深部は約125メートルもある。2006年にオールスター戦が開催された。地元の金融会社PNCファイナンシャル・サービシズが20年間の命名権を取得。