チーム情報
プロフィール
1883年にニューヨーク・ゴッサムズとして創設。すぐにジャイアンツに改称し、1800年代に2度のリーグ優勝。1904年にもリーグ優勝を果たすが、ワールドシリーズは開催されず、1905年に開催された第2回のワールドシリーズでフィラデルフィア・アスレチックス(現オークランド・アスレチックス)を下し、初の世界一に到達した。
1910年代に3連覇を含む4度のリーグ優勝、1921年からワールドシリーズ2連覇を含むリーグ4連覇、1930年代には1933年のワールドシリーズ制覇を含む3度のリーグ優勝と、メジャー屈指の強豪としての地位を確立。メル・オット、カール・ハッベル、クリスティ・マシューソンといった名選手を輩出した。1954年のワールドシリーズではウィリー・メイズの「ザ・キャッチ」と呼ばれた伝説のファインプレーで5度目の世界一に輝いた。
1958年にサンフランシスコへ移転。ボビー・ボンズ、ウィリー・マッコビーらが活躍したが、しばらく低迷期が続く。転機となったのはボビーの息子バリー・ボンズの加入。移籍1年目の1993年に本塁打王と打点王の2冠に輝き、チームも100勝超え。ボンズが在籍した2007年まで3度の地区優勝と1度のリーグ優勝を果たした。しかし、新庄剛志も出場した2002年のワールドシリーズではエンゼルスに敗れた。
ボンズが去った後は投手力主体のチームカラーとなり、2008年からティム・リンスカムが2年連続でサイ・ヤング賞を受賞。速球派右腕マット・ケーン、左腕マディソン・バムガーナーらが強力先発陣を形成し、これをリードする捕手バスター・ポージーらが主力となった。2010年からは偶数年にプレーオフへ進出。豊富な投手陣とポージー、パブロ・サンドバル、ハンター・ペンスらのバットで、2010年、2012年、2014年にワールドシリーズを制覇した。
2017年は両リーグワーストタイの98敗を喫し、大黒柱バムガーナーも負傷が響いて6年間続いていた200イニング登板がストップした。2018年はエバン・ロンゴリア、アンドルー・マカチェンを補強したが、長打力不足に泣き、マカチェンもシーズン中に放出。地区4位に終わり、偶数年にプレーオフへ進出していたジンクスは途切れ、自慢の投手陣にも陰りが見え始めた。2019年はチーム防御率がリーグ9位、チーム打率がリーグワースト2位と精彩を欠き、借金8の地区3位で終了。バムガーナーや広い守備範囲を誇った中堅手ケビン・ピラーが退団し、ブルース・ボウチー監督もシーズン限りで退任した。
ゲーブ・キャプラー新監督が就任した2020年は、肘手術からの完全復調を期すエースのジョニー・クエト、ベテランのジェフ・サマージャ、新加入の左腕ドルー・スマイリーらが先発陣を形成。34セーブをマークしたウィル・スミスが抜けたクローザーの座を左腕トニー・ワトソンや右腕トレバー・ゴットらが争う。チーム浮上の鍵を握る打線は、ロンゴリア、ポージー、マイク・ヤストレムスキー、ブランドン・ベルトらが中心。
日本人初のメジャーリーガー村上雅則が在籍した球団であり、メジャー初の通算1万勝に到達した球団。同じ西海岸のライバル、ドジャースとの対戦は熱狂的なファンを巻き込んだ名物カードとなっている。
スタジアム紹介
サンフランシスコのダウンタウンから離れた場所に位置していた、NFLサンフランシスコ49ersと兼用のキャンドルスティック・パークに代わって、2000年にサンフランシスコのダウンタウンに開場した野球専用球場。当初の名称はパシフィックベル・パークで、SBCパーク、AT&Tパークを経て、2019年から現在の名称となった。ライトスタンド後方がサンフランシスコ湾の入り江となっており、往年の強打者ウィリー・マッコビーの名を取ってマッコビー・コーブと呼ばれていた。かつてバリー・ボンズがそこへ飛び込む場外本塁打「スプラッシュ・ヒット」を量産していて、ボートに乗ってそのボールを待ち構えているファンもいた。ライトポールまでは短いもののライトフェンスが高くて右中間が深い上、海からの向かい風が吹くため、特に左打者には不利な構造となっている。2007年に開催されたオールスター戦ではイチローがオールスター戦史上初のランニング本塁打を放った。サンフランシスコ近郊に本拠を置くソフトウェア会社オラクルが命名権を取得。2018年には7人制ラグビーW杯が開催された。