チーム情報
プロフィール
ア・リーグ創立の1901年に誕生。当初の名称はミルウォーキー・ブリュワーズ(現存の球団とは別)だった。1902年にセントルイスに移転してセントルイス・ブラウンズとなり、1954年にボルティモアに移転して現在の名称となった。2004年にイチローに破られるまでシーズン最多安打記録を保持していたジョージ・シスラーが在籍していたのがブラウンズだった。
歴史ある球団ながらワールドシリーズ制覇には手が届かなかったが、1966年にドジャースを4連勝で下し、初の世界一に輝く。その後もアール・ウィーバー監督体制で1969年から1982年までの14年間で地区優勝6回、リーグ優勝4回、ワールドシリーズ制覇1回と黄金期を築く。1982年にはメジャーを代表する選手となるカル・リプケンが新人王に輝いた。
1983年にはリプケンがMVPを受賞する活躍で、3度目の世界一を達成。1987年には父カル・リプケン・シニアが監督に就任し、弟ビリー・リプケンもメジャー昇格を果たしたことで親子3人が同時に同一チームのユニホームを着てグラウンドに立った。リプケンは2001年に引退するまでオリオールズ一筋で過ごし、メジャー記録となる2632試合連続出場を達成。最後の出場となった2001年のオールスター戦ではMVPに輝いた。
1997年に地区優勝してからは長く低迷が続いたが、バック・ショーウォルター監督就任3年目の2012年に、アダム・ジョーンズ、クリス・デービスを中心とした強力打線で5年ぶりに地区最下位を脱出するとともに、15年ぶりにプレーオフへ進出した。
2014年はジョーンズ、デービスにマーク・トランボも加わった打線で17年ぶりに地区優勝。2016年もワイルドカードでプレーオフ進出を果たすなど安定期に入ったと思われたが、2017年は主砲デービスの不振などで最下位に転落し、2018年はシーズン途中で大型遊撃手マニー・マチャドを放出して両リーグワーストの115敗を記録。2010年途中から指揮を執っていたショーウォルター監督が退任し、中心選手だったジョーンズもチームを去った。
2019年はブランドン・ハイド新監督の下で出直しを図るも、両リーグワーストの防御率5.59を記録し、さらにメジャーワースト記録を更新するシーズン305被本塁打を献上するなど投手陣が崩壊。終わってみれば108敗を喫して3年連続の地区最下位となった。また、両リーグワーストタイのチームセーブ数27の中には外野手のスティーブ・ウィルカーソンが記録した、史上初の野手によるセーブも含まれている。
2020年も苦しいシーズンが予想されるが、35本塁打のトレイ・マンチニ、31本塁打のレナト・ヌネス、打率.305をマークしたハンセル・アルベルトらを中心とした打線で再浮上を目指す。投手陣は12勝、防御率3.60と奮闘したジョン・ミーンズが柱。それに続く先発陣、最後まで固定できなかったクローザーの確立など、明確な課題をどれだけクリアできるかがポイントとなりそうだ。若手有望株の中ではMLB.com認定ランキング全体4位のアドリー・ラッチマンが将来の正捕手として期待されている。
スタジアム紹介
NFLらと兼用のメモリアル・スタジアムに代わって野球専用球場として1992年に開場。いわゆる「レトロ調スタジアム」の先駆け的存在で、赤レンガの外壁が特徴。オープン時には建築デザイン的にも高い評価を得た。球場名は2つの候補名をそのまま採用して合体させたもの。パークファクターとしては本塁打が出やすいことから打者有利とされている。ベーブ・ルースの生家が徒歩圏内にあったことから、球場近くにはルースの銅像が建てられている。2001年には当時レッドソックスの野茂英雄が球場初となるノーヒットノーランを達成。2015年にはボルティモア市で非常事態宣言が出されたことにより、メジャーの公式戦で初の無観客試合が行われた。港湾都市ボルティモアの中心部に位置し、ワシントンやボルティモア周辺を網羅している鉄道MARCの「Camden」駅の目の前。