チーム情報
プロフィール
アスレチックスがカンザスシティからオークランドへ移転したのち、1969年に拡張球団の一つとして誕生。以降、現名称を貫いている。
1976年から地区3連覇を果たすと、1980年にはジョージ・ブレットが打率.390をマークする活躍でMVPを受賞。さらに初のリーグ優勝を果たし、強豪球団としての地位を確立する。1984年にも地区優勝、そして1985年にはブレット・セイバーヘイゲンが20勝を挙げる活躍で地区優勝からリーグ優勝。さらにカージナルスを破り、初の世界一に輝く。
だが、1993年に主力のブレットが引退するとチームも一気に低迷。1996年には初の最下位に沈み、2000年代は100敗を喫するシーズンも珍しくはなくなった。ドラフトで獲得した若手有望株を積極的に起用する方針でザック・グリンキーらが育ったが、プレーオフに到達する前にチームを去っていった。
チームがようやく上向いたのは2013年。元日本ハムのトレイ・ヒルマン監督の後を受けて2010年途中から指揮を執っていたネド・ヨースト監督の下、10年ぶりに勝ち越し。2014年には青木宣親らの活躍もあってワイルドカードで29年ぶりにプレーオフへ進出し、リーグ制覇。2015年には低迷期に獲得したエリク・ホスマー、ロレンゾ・ケーン、マイク・ムスタカス、サルバドール・ペレスらが主力に成長。リーグ最多の95勝を挙げてリーグ優勝、そしてメッツを下して30年ぶりにワールドシリーズ制覇と駆け上がった。
そのまま黄金期が到来するかと思われたが、2017年のオフにホスマーがチームを去ったのをきっかけに一気に下降し、2018年は借金46と大きく負け越し。8年ぶりの地区最下位となった。一方で、メジャー屈指の強肩を誇るペレスが2年ぶり5度目のゴールデングラブ賞を受賞し、俊足の1番打者ウィット・メリーフィールドが2年連続の盗塁王に輝くなど、明るい話題もあった。
2019年もチーム防御率がリーグワースト3位、チーム本塁打がリーグワースト2位と投打に低迷。103敗を喫して地区4位に終わり、10年間指揮を執ってきたヨースト監督が退任した。そんな中で主砲に成長したホルヘ・ソレアが48本塁打を放って本塁打王に輝き、メリーフィールドも両リーグ最多となる206安打を放った。チーム生え抜きのベテラン外野手アレックス・ゴードンも3年連続7度目となるゴールデングラブ賞を受賞した。
巻き返しのシーズンとなる2020年は、ソレア、メリーフィールドのほか、26本塁打のハンター・ドジャー、故障からの復活が期待されるペレス、かつての強打者を父に持つラウル・モンデシーらの打線に、フィリーズからFAの三塁手マイケル・フランコを補強。2桁勝利なしに終わった投手陣はブラッド・ケラー、ダニー・ダフィー、ジェーク・ジュニス、マイク・モンゴメリーらが先発陣を形成し、2011年のナ・リーグ最多勝投手のイアン・ケネディがクローザーを務める。
若手有望株の中では19歳の遊撃手ボビー・ウィットJrが将来楽しみな存在。2018年までカージナルスを指揮したマイク・マシーニー新監督の手腕にも注目が集まる。
スタジアム紹介
球団創設から4年間使用していたNFLカンザスシティ・チーフスらと兼用のミュニシパル・スタジアムに代わって、1973年に野球専用球場として開場。当初の名称はロイヤルズ・スタジアムだったが、1993年に初代オーナーの名を冠した現在の名称となった。王冠をあしらったスコアボードと外野の噴水が名物。7度のノーヒットノーランを誇るノーラン・ライアンが初めてその偉業を達成した球場でもある(1973年)。左右対称の構造で、外野席が少なく、ホームランが出にくいことも特徴。1930年代から1950年代にかけて選手及び監督として在籍したバック・オニールの功績をたたえて、2007年にバックネット裏にそのレガシーシートが設置された。2018年4月には零下の寒さにより、大谷翔平が先発予定だった試合が中止となった。球場からは離れているが、カンザスシティ市内にはニグロリーグ野球博物館がある。